はじめての閉鎖病棟
22歳のとき、うつ病の状態がとても悪くなり、生まれてはじめて精神科の閉鎖病棟に入院した。
病棟に持ち込める持ち物は、病棟が規定する「安全なもの」に限られていた。
その日、急に入院が決まり、私は着の身着のまま、普段の内服薬と貴重品と手帳とペンだけを持って入院した。
夜になって、手帳に日記を書いたのがあったので、以下に写す。
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◯月✕日 くもり
気持ちが苦しいことで大きな病院を受診したら、自殺の危険が高いので入院した方が良いと言われた。うつ病らしい。
入院なんかしたくない。仕事だってできていた。入院するほどの事態なんだろうか。でも死にたくなったり、ものすごく落ち着かなくて不安でくるしい時はよくある。死ぬことを、飛び降りることを具体的にイメージする。死に方を調べる。カッターで身体を切る。切るのに良い刃物を調べる。また苦しくなる。そんな日々は、確かに入院するほどの事態なのかもしれない。自分ではあまりわからない。
入院して2〜3時間経ったら、ものすごいそわそわとどうにもできない不安が襲ってきて、じっとしていられなくなった。病棟を早足でがんばって何度も往復した。看護師さんに「どうしたの?」と声をかけられた。泣きながら、苦しいということを伝えた。なんで苦しいのか、なんで涙が出るのかわからない。ひたすらに苦しい。足がそわそわする。切りたくなる。死にたいと思う。病室に戻って、左脚を目一杯何度も殴った。声を出して泣いた。
以前から、何度も同じような発作(?)のようなことが起こっている。今日のもきっとそれだ。夕ご飯を食べていたら、いつの間にか落ち着いた。
家族が面会に来た。うれしい。悲しい。入院したくない。早く良くなりたい。さみしい。付き合っている人に電話した。その人に会いたい。入院する前に会えたら良かったのに。早く良くなりたい。眠れますように。
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入院する前の当時の自分は、仕事をしている時間以外はずっと泣いていて、強大な焦燥感と不安に追い立てられ、自分の部屋でひとり、カッターを使って太ももや肩をグリグリと切って気持ちをなだめていた。「痛いな」とぼんやり感じると、つらく苦しい気持ちが紛れるのでしょっちゅうそうしていた。買い物などの用事で外へ出ると、目は飛び降りやすそうなビルを探し回っていた。
ある時職場の上司に自傷していることがバレて、休職させられることになった。
家族や友人には、もっと以前から、気持ちが苦しくなってどうしようもなくなって泣いてしまうことは相談していて、受診をすすめられていたので、近所のメンタルクリニックに通っていた。その時から抗うつ薬を使っていたが、病状が急に重たくなったので、十分に薬の効果を得られるようになるまでメンタルが待てなかった(ふつう精神科の薬は飲み始めて効果が出てくるまで結構時間がかかる)。
家族にも自傷のことや一刻も早く死にたいことを話すと、大きい病院の受診をすすめられた。
大きい病院を受診すると、そこの精神科医から、
「あなたが死にたいと感じるのは、うつ病の症状です」
「しばらく閉鎖病棟のような刺激の少ない環境で過ごし、薬物療法を行えば症状は必ず良くなります」
「まだ年齢の若いあなたが、うつ病の症状によって、自ら命を絶ってしまうのはとても勿体無いことです」
と言われ、
「閉鎖病棟に入院することに同意していただけますか?」
と確認された。
自分としては、
「一刻も早く死ななくては。生きる価値のない人間が存在していてはいけない。自分の命は自分のもの」
と信じ込んでいたので、精神科医の話など全く頭にも心にも入らなかった。
なので、
「入院の必要はありません」
「入院はしません」
と、きっぱり拒否。
しかし医学的に見て当時の自分は「精神障害の入院治療が必要」と判断されているため、絶対に入院させなければならない患者となる。
よって、
患者本人の同意はないが、家族の同意で強制的に入院させることができる「医療保護入院」の形をとることになった(精神科の入院形態にはいくつか種類がある)。
当時はこの結果に納得がいかなかったけど、今は入院治療は必要だったなと思う。
身体を切った傷跡は消えずに今も太いミミズ腫れのように残っている。ここでストップできてよかった。入院は、生きることのルートを前向きに変えるイベントだった。
まだ入院中に書いた日記が少しあるので、別の記事に記録することにする。