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映画『透明人間』の話

※注意※

2020年公開の映画『透明人間』のネタバレを含みます。

この記事は、二人の人間が映画の内容について雑談したものを文字おこししたものです。

 

 

まず「透明人間」という題材について

「透明人間」という題材の作品は、僕の知っている限り今作以外に2つある。

1つ目は1933年の『透明人間』。2つ目は2000年の『インビジブル』。

 

この2作は、薬品を使って透明人間になる。

 

今回の『透明人間』は、3つ目に当たるわけだけど、なにで透明になるかって話。

これ、映画の作られた時代によって、その時代なら通用する説得力のある方法で透明になってると思う。

その時代に合った説得力のある理由が、透明になれる理由になってる。

だから、今回の『透明人間』は、現代だから通用するテーマが、現代だから通用する方法・技術で、透明として描かれている。

今回どうやって透明になるかっていうのは、ネタバレを避けるために言及しませんが、結末にひねりがあって面白かった。

やっぱり最初は、薬品で透明になってるのかな?って思ったけど、まさかね。

ヒントは、『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』。

 

透明人間になる人物の性別について

「透明人間」という題材でもう一つ面白いなと思うのは、

やっぱり「男性」が透明人間になるんだってこと。どんな映画でも。

で、透明人間に襲われるのは、必ず「女性」なんですよ。

 

「透明人間」という欲望自体が、そもそも男性の夢に近いのかな?

AVのジャンルでもあるしね。

結局、「透明になって何をしたいか?」ということに関して、

女性よりも男性の方がその夢が大きいのかもしれない。

 

そこの性差が面白いなって思う。

ホラー映画の中でも、このジャンルなら女性が恐怖の正体の方が面白いとか、

こっちのジャンルだったら男性が恐怖の正体の方が面白いとかがあって。

このあたり少し掘り下げたら、昨今の性差別問題のことが何か見えてきそうな気がする。

 

ともかく「透明人間」というジャンルは、たいていの場合、男性がとても狂暴な透明人間になることが多い。

 

今回の『透明人間』について

女性が主人公で、透明人間化した元夫に襲われる、という話ですが、

この映画、男性と女性では観たときの怖さが違うんじゃないかなって思う。

誰がみてもホラー映画として作ってあるから怖いは怖いんだけど、女性の方がより怖く感じるんじゃないかな。

姿も見えない知らない男性から覗かれている怖さとか、

男女の物理的な力の差も描いているし、

男性に常に痴漢されているんじゃないかみたいな怖さ。

そこのところの恐怖っていうは、女性が感じやすいんじゃないかなと思う。

男性がそういった恐怖に全くさらされていないわけじゃないけどね。

 

ホラー映画3箇条

僕がホラー映画に求めている3箇条があって。

この3つが揃っていれば面白い、ってやつ。

 

その1:心霊写真であること

主人公たちが気づいていないところで、既にその場に恐怖の対象が存在した・映っていた、という状態のこと。

実はあの時点でその場に居たんだ、ってことが後から分かってゾッとする。

今回の『透明人間』は、透明人間という題材の性質上常にそれが起こってたね。

 

その2:親和性があること

これは、ストーリーがいかに自分事に近いか、納得できるかってこと。

僕は『透明人間』のラストを観て、主人公の元夫はこうなるべき結末だって思いました。

自分自身が普段怒りっぽくて、態度に出やすいから余計にそう思う。

暴力をふるう人間はああいう結末を迎えるべきなんだよ。

 

その3:「恐怖」の正体、本質は何かが明確であること

これは、そのままの意味。

『透明人間』の中で登場する「恐怖」の本質は、

・誰も自分の話を聞いてくれない、信じてくれないこと

・自分自身がありのままに感じている恐怖は、外には可視化されないということ

=「恐怖が透明な状態であること」だね。

 

「透明人間」であることの意味

 今回の映画では、透明人間という題材をただ適当に選んだわけじゃないことがわかる。

この映画のテーマの本質は、DV(家庭内暴力)なんだけど。

表にわかりやすく出てきにくい、家の中で起こっているトラブルが、周りの人には伝わりづらく、ほとんど信じてもらえないということの恐怖を、透明人間を使って描いている。

問題が外側からは全く見えないし、内側からも可視化することができないという怖さ。

暴力性、支配といったものが、外側から見ると可視化されていない=「透明である」。

主人公が「透明である」ことについて声を上げれば上げるほど、頭がおかしい人に見えてしまう。

誰も自分の言うことを信じてくれないという絶望感を描くのに、「透明人間」を使ったのは、面白いなあと思う。現代的なモチーフの使い方。

過去の前述した『透明人間』2作を思い返すと、「目に見えない奴が襲ってくる」という怖さ止まりだった気がする。

見えない何かに襲われていることを誰かに訴えて信じてもらえないという下りはなかった気がする。

だからこそ、今回の『透明人間』のストーリーは、「透明人間」というものを再解釈するにはもってこいの題材だなと思う。

 

ホラー映画と女性の生きづらさ

「透明人間」自体めちゃ古い概念だよね。

 ミイラ男とか狼男クラスに古いんじゃないかな。

口裂け女とかはもっと最近の文化だよね。透明人間はすごく古典的。

ちなみに僕の好きな俳優、ベニチオ・デル・トロが狼男を演じる映画『ウルフマン』が今度新しくなるみたい。

狼男自体の基本設定は、普段心の優しい男性が、満月の夜に狂暴な狼男になってしまうというもの。

この「狼男」の設定が、現代の解釈でどのように描かれるのかは、すごく興味深い。

今回「透明人間」がこうやって、近年上がってきた女性の声を反映しているから。

まあホラー映画で襲われるのは基本的に女性ということがほとんどなんだけど。

それって女性の生きづらさの反映だと思う。

あと、ホラー映画監督は、基本的に女性の味方って人、多い気がする。

 

映画監督はみんな「女性」が怖い?

映画監督という存在自体が、女性をすごく怖がってるっていう側面あると思う。

アーティストあるある?とでも言うのか...。

映画『ハウス・ジャック・ビルト』なんかを観ていても思うけど、ああいう形の女性恐怖症持ちばっかりな気がする。

女性に対してコンプレックスや恐怖感情がある。

どの監督の映画を観てても、「この監督女性恐怖全くないでしょ」って感じる人、ほぼいない。

大体どの映画監督も、陰キャだと思う。

ホラー映画ではよく、遊び人は殺されて、処女や童貞が生き残るのが多いし、

いわゆるファイナルガールに、処女や童貞といった純粋さを求めているところに、陰キャを感じる。

 

ちなみに…

ファイナルガール とは、ホラー映画に登場する人物類型である。1960年代後半以降のアメリカで大量に作られたホラー映画が、一様に「純粋な若い女性が男の殺戮者と対決するが最後には生き残る」という構造をもっていることが映画研究の分野で注目され、この類型的な女性像が映画研究者キャロル・クローバーによって「ファイナル・ガール」と命名された英語圏の映画研究・映画批評においては、とくにフェミニスト映画理論の分野で重要な概念とみなされている

 

フェミニスト映画理論 とは、フェミニズムの枠組みを援用して映画を分析しようとする理論全般を指す。

 

 

『透明人間』で気になる点

・主人公の家で飼っている犬の名前が「ゼウス」

なぜ飼い犬がギリシア神話に登場する全知全能の神「ゼウス」の名を冠しているのか?

普通、映画に登場するものに名前を付けるとき、それには必ず意味がある。

今作の監督も、無意味に犬に「ゼウス」という名を選ぶほど無頓着ではないはず。

ギリシア神話の中で、人間に執拗にちょっかいを出す神がいたような…?

ともかく、何かの暗喩で用いている可能性を感じる。

でもこのあたり勉強不足でうまく説明できない。

 

・女性の社会進出とその障壁もテーマ

主人公の女性は、自立して外で働こうと動いてきたけど、それが叶わないように元夫が家から出さないよう妨げてきてたはず。

作中でも、明確に誰がやったとは描かれないけど、主人公が就活に失敗するシーンがある。

個人の家庭だけで起こっているDVの話も語りつつ、女性が社会から認めてもらえないことやその障壁についても描かれていると思う。

ものすごくポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)な映画だと思う。

こういう大事なテーマを、ただのジャンル映画で、何の毛なしにやっているのって、すごいことだと思う。

わざわざ大々的に「女性の生きづらさがテーマです!」「ポリコレ映画ですよー!」って掲げないで、何も言わず当たり前に、自然に映画の中にテーマを落とし込む。

それってすごく誠実なことだと思う。

ただホラー映画を観ようと思って観に来た人が、図らずも社会の重要なテーマに触れてしまうということ、そういう状態を作ったことが、ジャンル映画として誠実だなって思う。

 

・映画のラストについて

この映画は、後半かなりアクションシーンが多くて、バタバタしているよね。

前半からストーリーを追ってる側としては、「あれっなんか展開が雑になってきたな」って感じちゃった。

でもそのあともうひと捻りする展開があって。黒幕を一旦倒してからね。

ラストで主人公がとったある行動があるんだけど、この映画、この部分こそがかなり重要な気がする。

ストーリーがいくら進んでも、結局のところ主人公の話を信じてくれる人って、映画のラストになっても現れない。

主人公の周囲の人間が、「こういう決着の付け方でいいじゃない」って主人公に言ってきて、それに主人公は納得できない。

だって誰も主人公が捉えている本当の真実に目を向けてくれないから。

そこで、主人公はある行動をとるんだけど、このことが、この映画の結末の解釈にかなり幅を持たせてる。

本当の黒幕は元夫の兄かもしれないし、元夫かもしれないし、はたまた全ては主人公の妄想かもしれない。

本当の黒幕なんかなくて、元夫をどうしても悪役にしたい主人公がいたってだけなのかもしれない。

 

この映画は冒頭からずっと主人公目線でストーリーを追っていくから、観客も主人公とともに、透明人間の存在を確認してるわけで、その時点では主人公は「信用できない語り部」にはあたらないよね。

でも、映画のラストに向かうにつれて、主人公が「信用できない語り部」化しちゃってるんだよね。

なんでかっていうと、映画内で起こるすべての問題に、証拠が一切ないから。

元夫が絶対に黒幕ですっていう証拠が、映画内では一切明確に提示されない。

主人公から見た世界、感じた世界の描写のみで一方的に語られるからね。

だから主人公は最後、自分から見た世界の中で真実だと思うことを信じて、あることを実行する。

そういう意味では、この映画のラストは、観客側も映画で起きてる物事が透明化しちゃって本当の結末が分からなくなるようになってる。

主人公の主張と行動を信じるか、信じないかに分かれるよね。

でもその主人公の主張が、本当なのかどうかがあいまいで、透明になってくる。

観客を試しているよね。この映画の中の真実、ちゃんと見えていますか?って。

主人公がとったある行動っていうのも、本当に主人公が実施したのかどうかが、明確に映し出されないようになってて。そこも透明になっちゃってる。

 

「可視化されない恐怖をお前も味わえ」っていうところは、真っ当な復讐方法だけどね。

リベンジ物としてはとても綺麗な復讐の仕方だね。

 

・透明人間同士のバトル

これはね。透明人間になれる方法が明示されるとやっぱり期待しちゃう展開なんだよね。

画面上何も映ってないけど、物が急に飛んだり壊れたりっていう激しいシュールな画面が観たいというか。

僕だったらそういうシーン必ずいれちゃうと思う。

 

・主人公の妊娠どうなった?

作中で主人公が妊娠するよね。でも、そのことについては特に決着はつかなった。

妊娠自体かなりセンシティブな話題だと思う。

堕胎するルートでも、主人公の感情やストーリーとしては受け入れられたと思うけど…。

映画のラストの後、どうしたんだろうね?産んだのかな?

元夫と、その兄の、主人公に対する態度もすごく気になるよね。

主人公はずっと「どうして元夫は私にこんなに執着するのか?」について悩んでる。

「女性ならほかにもたくさんいるのに」と。

主人公の妊娠がわかると、元夫の兄が、「その赤ちゃんを産んでくれるなら、君をもう一度家族として迎え入れるよ(=もう怖いことはしないよ)」的なことを言う。

なんかそのセリフを聞いてて、「主人公が授かった子」であることにものすごい執着を感じるなあと思って。

そこでふと、「主人公って一体何者なんだろう?」って疑問が沸く。

元夫や、その兄がどうしても執着してしまうほど、何か特別な存在なのか?って。

映画のラストで、主人公に「ゼウス」がピッタリと付き従って登場するのも印象的。

主人公がなぜ執着されてしまったのか、どういう存在なのか、主人公が妊娠したことの意味、とかいろいろ気になっちゃう。作中であまり説明されないよね。

前述したギリシア神話に元となる話があったりして?

主人公は「ゼウス」よりも上の存在なのかな?

映画『マザー』にもその存在が出てくるし…ガイアだっけ?地母神

 

映画『千と千尋の神隠し』のカオナシにも似てるんだけど。

「神に愛されてしまった女性」の話。

神々はわがまま、相手をいくらでもコントロールしようとする。

それに抵抗して、打ち倒すというか…やっぱり『透明人間』は、どこか神話が絡んでいる気がするね。

この辺りはもっと勉強が必要だなと思いました。

 

・黒人警官ジェームズ、お前誰?

急に出てくるよね。主人公の避難先として。

ティーンの娘がいて、どうも父子家庭。

どういうつてでここに避難することになったんだろう?

 

・主人公と元夫と飼い犬の名前

主人公の名はセシリア。

調べると、ローマ帝国の貴族で、キリスト教の聖人「聖セシリア」が出てくる。

元夫名前はエイドリアン。

調べると、エイドリアンという名前の元になったのは、第14代ローマ皇帝ハドリアヌス」の名らしい。

飼い犬の名はゼウス。

ギリシア神話の「ゼウス」もそうだし、ローマ神話では「ユーピテル(ジュピター)」という名の神で、天空神。

 

・夫婦の家

立地がそもそも海岸のすぐ側で、海の波が寝室の窓から広く見えるようになってる。

現実離れしてる場所に建ってるよね。

空き家になった家で一匹で元気に過ごしているゼウス。これもすごく不自然な描写。

あの家にあるものや、あの家で起こる出来事って、ちょっと非現実的な感じ。

映画『ライフ・オブ・パイ』に出てくる死の島みたいな?

現実と非現実の境目っていう捉え方でいいのかな。

だから、映画のラストで起こることは、神話的な意味があるのかもね。

 

 

 

以上で映画『透明人間』の話は終わりです。

映画の話はシリーズ化して時々記事にしたいですね。